CMで有名な「高須クリニック」の家族構成について調べてみた。何が凄いかと言うと、まず高須家は、江戸時代から4代続く夫婦共に医者の家系であるということ。
高須家は不思議と女子しか生まれず、100年ぶりの男子として生まれたのが「高須克弥」であったという。医者家系は、高須克弥の祖母・高須いまが女医となり高須医院を開業したところから始まる。
続いて高須克弥の母・高須登代子は産婦人科医として活躍した。高須克弥の嫁・高須シヅは、昭和大学病院に産婦人科医として勤務後、夫の高須克弥と共に「高須病院」を開院し、「高須クリニックグループ」の実質的な経営者として活躍。
高須克弥・シズ夫婦は3人の息子を授かるが、3人の息子もその嫁も全て医者である。家族構成が凄すぎるという噂は真実のようだ。
この記事に書いてあること
高須クリニックの家族構成が凄すぎる
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いつもユニークなCMが話題の美容整形外科の「高須クリニック」。その高須クリニックの家族構成が凄すぎるという噂があるのをご存知だろうか。
実を言うと、高須家は4代続く夫婦ともに医者の家系なのである。平成15年に開催された長男・三男の合同披露宴の際には、医院長である高須克弥が、
「明治政府が認めた代から数えても夫婦で医者というのは、息子たちで4代続けてということになるんです。これはギネスものかも」と語っている。今回は、そんな高須クリニックの高須克弥の家族構成について深堀していきたいと思う。
高須クリニックの100年ぶりの長男:高須克弥
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高須家は、江戸時代から続く医者の家系であり、不思議と女子しか生まれず、高須家の多くの男性は娘婿のようであった。そのため、高須家は男性より女性が働く家系のようだある。
その江戸時代か続く家系の中で、100年ぶりの男子として生まれたのが、「高須克弥」であったのだ。きっとその時は奇跡のような喜びであったに違いない。そんなおめでたい彼であるが幼いころは苦労も多かったようである。
高須克弥の父親「高須省吾」は、もともと内科医であったが、彼が中学1年生の時に41歳と若さで「心筋梗塞」で亡くなったようである。その時の父の兄弟からは、「志し半ばで倒れた父を持った息子は、父のエネルギーを引き継ぐから大成できるぞ。ラッキーだと思え。」と言われ、今での高須克弥の原動力となっているのだ。
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そんな子供時代を送った高須克弥ではあるが、1993年3月に東海高等学校卒業し、同年4月に昭和医科大学の医学部に入学したのである。
大学時代は、空手やアイスホッケー、山岳診療所などに没頭していたようだ。特にアイスホッケーについては、「経験者が少ないスポーツでなら、一番を狙えるのではないか」という理由で昭和大学にアイスホッケー部を新設させ、自ら初代主将を務めたようだ。すでに大学時代から有名になってトップを目指す精神を備えもっていたようである。
大学を卒業後は、整形外科医局に所属し、同大学院医学研究科博士課程を修了、1973年に「四肢切断者の幻肢に関する研究」をテーマに医学博士を取得した。整形外科を志した理由については、家族や親族に医者が多くおり、同じ科を選ぶとケンカになるという理由かららしい。高須克弥の心の優しい人柄が想像できる。
高須クリニックの家族構成:祖母の高須いま
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江戸時代を通じて医業を行ってきた高須家にも、この文明開化の波は押し寄せてきた。その時に登場したのが、高須克弥の祖母“高須いま”である。高須いまは、婿養子をもらい、克弥の母・登代子を産んだ人物である。高須克弥の祖母にあたるのだ。
時代の先を見据え19歳で上京、これまでとは異なる近代医学を学ぶために東京医学校で学び、当時日本でまだ40人たらずしかいなかった女医となり、故郷に高須医院を開業した。これが、今も一色町にある高須病院の元祖である。
当時、人力車に乗って往診するというのが、偉い医者のスタイルとされていた。偉い人は、偉そうにしているということである。しかし、高須いまは、患者のために合理的であることを優先してきたのである。
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速く走れて疲れないからと往診の時は、いつも自転車で出かけた。国産自転車のない時代、外国製の自転車に洋装で乗ってさっそうと畦道を走る姿は、地元の人たちにはなかなか理解されなかったという。
古い概念を打ち崩し新しい価値観を創ることには、いつの時代も大きな反発が生じるものなのだろう。「常に先駆者たれ」。高須克弥に大きな影響を与えることとなるこの言葉は、「高須いま」祖母の言葉だったようである。
きっと誰よりも患者を思い、世の中を変える力があった高須いまの影響は、現在の高須家にとっても大きいといえるだろう。
高須クリニックの家族構成:母の高須登代子
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次に紹介する人物の「高須登代子」は、愛知県で生まれ、高須克弥の母である。高須登代子も産婦人科医として働き、高須克弥の幼少期には仕事が多忙であり、なかなか育児に関わる機会も少なったようである。そんな働き者であった母の高須登代子の事について、息子である高須克弥は、
「僕は、子供の時に父が亡くなり、僕の母はシングルマザーでした。必死に僕と妹を育て上げてくれました。僕たちには親の恩しかありません。親孝行は僕らの生き甲斐でした。ありがとう、お母さん。」と感謝の思いを述べているようだ。やはり懸命に働く母の姿を高須克弥は幼い時から見ていたのだろう。
2010年に89歳で死去されるまで、「親孝行が子孫繁栄の礎」と発言され、母親の誕生日には「世界で一番大好きなお母さま」とメッセージ付きのプリザーブドフラワーをプレゼントしたり、とても親孝行されていたようだ。
きっと若くして夫を失い、子供を成人するまで育てあげてきた、高須登代子は偉大な人物であったに違いない。いつの時代の母親というものは強い人物なのは間違いなさそうである。
高須クリニックの家族構成:妻の高須シズ
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高須克弥の死別した嫁の「高須シヅ」であり、1944年12月15日愛知県の生まれで、高須克弥さんとは同級生、同郷にあたり、また同じく医者の家系の生まれであったようだ。高須克弥との結婚前の旧姓は「星野シズ」であった。
高須克弥の嫁・高須シヅは、昭和大学病院に産婦人科医として勤務後、夫の高須克弥と共に愛知県名古屋市に「高須病院」を開院し、「高須クリニックグループ」の実質的な経営者として活躍されたのである。
また、高須克弥とともに、それまで国内で普及していなかった美容外科技術を自ら高須克弥自身の身体を使う形で実験して成功させ、国内の美容技術の発展に大きく貢献された事でもよく知られている。
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後進の育成にも力を注ぎ、高須克弥との間に生まれた3人の息子たちをはじめ、多くの美容外科医を指導された。また高須シヅは、大の競馬好きとして知られており、高須克弥は高須シヅの死後、毎年の命日には地元の名古屋競馬場で「高須シヅ杯レース」を開催されている。
しかし、2010年3月29日転移性肺癌により逝去され、高須 シヅは65歳の命で幕を閉じたのである。
高須クリニックの家族構成:長男の高須力弥
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次に紹介する人物は「高須力弥」。1970年生まれで高須克弥の長男として、愛知県西尾市で誕生する。現在は52~53歳の年齢で、もともとは高須クリニック東京院、横浜院副院長を務めていた。
現在は、経営を担当されており、医師としては働いていないようである。2018年4月のTwitterのコメントで、
「高須クリニック東京院、横浜院副院長を退職いたしました。今後ともよろしくお願いいたします。」と述べており、退職の理由は詳しく分からないがその後はあまり公に姿を現していないようである。余談ではあるが、彼の妻は、「高須敬子」であり、彼女もまた高須クリニック大阪院院長で美容外科医として活躍されていたようだ。
高須クリニックの家族構成:次男の高須久弥
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「高須久弥」は、高須大阪院で院長を務めており、高須克弥の次男である。両親のすすめで歯学部に進学をしたが、当初は歯には興味を持てなかったようである。しかし、学びを深める中で歯学の面白さに惹かれていったようである。
現在は、歯科医として活躍されているが、歯科医になろうとしたきっかけについて、
「両親にすすめられて、なんとなく歯学部に入学したのですが、いつも歯科には興味がもてず、ダラダラと生活していたら知らないうちに歯科にドップリとつかっていました。
小さい頃からプラモデル作りなど、細かい作業が好きだったので、結果、細かい作業が多い歯科医師になって良かったと思います。」と語っている。
さらに仕事に対して大切にしていることについては、
「患者様が治療終了後に歯をだして笑顔になってお帰り頂けるように努力する。」という誠実な思いで患者と向き合っているようだ。
そんな彼はの持っている資格は、
・アンチエイジング臨床歯科研究所会員・日本レーザー医学会会員・日本美容外科医師会会員などである。
高須クリニックの家族構成:三男の高須幹弥
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「高須幹弥」は、高須克弥の三男として1975年2月1日に愛知県西尾市に誕生する。現在は高須クリニックの名古屋院院長を務めている。彼が専門とする分野は「美容外科医」である。
さらに2015年からは、YouTubeをスタートさせ、色々な情報を発信しており、美容の知識に関することだけにとどまらず、リスナーからの悩みに応える動画や時事問題に独自の意見で語る動画など、様々な動画を配信されているようだ。さらに人気も高く、2023年10月現在で53万人以上もの登録チャンネル者がいるのだ。
高須3兄弟の中でも、今一番有名といえる人物である。さらに妻は同じ美容皮膚科医の「高須英津子」であり、藤田保健衛生大医学部時代に出会い。先輩と後輩の間柄であり、夫婦共々医師として活躍されているのだ。
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高須クリニックの名古屋医院では、美肌治療、プチ整形、目、鼻の手術、エイジングケア手術、豊胸手術、脂肪吸引、エラ、顎、頬骨切り/削りなどオールマイティーに美容外科治療を担当している。さらに、父親である高須克弥のエイジングケア手術を手掛けたのだ。その際には、「施術後、20年以上前の父親に再会したような気持ちになった」と語っている。
高須幹弥のモットーとしては、「じっくりと時間をかけたカウンセリングをし、患者様に十分納得していただいた上、治療をさせて頂き、治療をした後もその患者様と一生お付き合いさせていただく」ことのようだ。
さらに、印象に残った言葉は、
「私に金欲や物欲がないのは、日本の美容医学を牽引していく使命を天から授かったものだと思っています。私はこれからも、お金儲けや私利私欲に走らず、患者の幸せのため、日本の美容医学の発展のために一生懸命頑張っていくので、よろしくお願いいたします。」と語っている。
高須クリニックは超名門の医者家系だった!
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上記のように詳しく高須クリニックの家族構成を調べてみてきたが、高須克弥の息子全員が医師免許を取得していることが分かった。それだけのも凄いのだが、3人の息子の嫁も全て医者であり、まさに、医学家系そのものであった。
今回は、高須クリニックの家族構成について、深く調べてみたが、個人的に一番感動したのが、やはり高須克弥の母が残した「親孝行が子孫繁栄の礎」という言葉であった。
現在親子・夫婦の絆が薄い世の中であるのに、これだけ皆が活躍している家系は本当に珍しいと思われる。親を思いやる気持ちが強い高須家の今後の活躍を応援して、親から子から孫へと引き継いでいってほしいと願っている。
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